追悼 澤田哲郎君
大学生活の四年間、同じサークルの同級生として、苦楽を共にしてきた友人、澤田哲郎君が永眠した。享年48。
通夜に参列してきた。
読経も何もない、無宗教の通夜が淡々と続いていった。
そのなかで、先輩である森さんに続いて、僕にも友人代表で挨拶してほしいとのご依頼を受け、だいたい以下のようなことを申し上げた。記録として残す。
澤田君
僕は君に謝らないといけないことがあります。
2年もの間、僕は君に会いにいかなかった。
病を克服して、残った後遺症のリハビリを続けている。
勝手にそう思い込んで、ろくに連絡も取らず2年間会いに行きませんでした。ちょっとメールで連絡したくらい。
ああ、そのうち行かなきゃ、行かないといけない。
そう思いつつ、見舞いに行くことなく、今日こんな形で会うことになってしまい、本当に悔しい限りです。
法政大学ミニコミ出版研究会、君は9代目の編集長で。僕は副編集長で。
一緒に作った雑誌が9冊。
先ほどご挨拶された森さんの下で、僕らは好き勝手やってました。
君と過ごしたあの日々は、一緒に作った雑誌は、僕のなかで掛け替えのない宝物です。
それと同時に。
君が病を得て、一時期は本当にだめかと思うところまで追い込まれたのに
不屈の精神力で乗り切って。
不幸にして後遺症が残り、車椅子になってしまったけど、
リハビリ施設に見舞いに行った時の君は、車椅子だったけど、いつもの澤田君で。この遺影と同じ、いつもの笑顔で迎えてくれて。
僕らは延々と、どうでもいい話をして。
帰るときには僕の方が勇気づけられていました。
君の闘病の日々に交わした言葉もまた、僕にとっての宝物です。
さっき、追悼の音楽として『ノルウェイの森』が掛かるはずだったのに、実際に流れたのは『ドライブ・マイ・カー』でした。
そのとき、ちょうどあのころはやったマンガ『なぜか笑介』のように、「ズン」とコケる澤田君の姿がすぐに目に浮かびました。
きっとこれからも、こんなふうに、みんなのなかに、君は生き続けるのだと思います。
最後に、君が愛してやまなかった読売巨人軍の、君が愛してやまなかった長嶋茂雄が、王貞治に送った言葉を送ります。
「君ある故に、我あり」
澤田君、今まで本当にありがとうございました。
どうか安らかにお眠りください。
アドリブでこれだけ喋ったんだ。許してくれな。
みんなで献花をして葬儀は終わり、2階の会場で飲食とともにしばらくくつろいだ後、式場から駅前の居酒屋に移動し、それはそれは愉快な追悼が繰り広げられた。
多くの級友たちと飲んで飲んで、彼の恥ずかしいエピソードなど開陳しあい、爆笑した。何度も。
最後に、六大学野球フリークだった彼を偲んで、僕の仕切りで校歌を歌った。
そしていま、彼がいないという事実を、受け止めきれない自分がいる。
仲間たちと別れた今、澤田哲郎がこの世にもういないという事実に、ぶちのめされている。
だらしのないことだと思う。だったら見舞いにもっと顔出しておけよと。
まあ僕は、もう少し、生き恥をさらしていくのだろう。
最後の6年間はほとんど病院かリハビリ施設にいたけれど、彼は彼の人生を思い切り楽しんだ。そのことだけはよく覚えておく。
安らかに。どうか安らかに。