ハリネズミの屁
3月20日
金曜日。週末なのでやや緩めに、でも仕事忙しい。
昼休みに通院。書いてもらった処方箋を薬局に持っていくと「この薬がない」と言われる。
次の薬局では「500mgがない。でも200mgと300mgがあるのでこれを組み合わせて飲んでいただくことでどうか」よくわからないけど了解。
で、ジェネリックなのかなんなのか。500と200と300で名前が違うの。なんだろうかこれは。
村上さんのところを読んでいて、つい買ってしまった。
読了。いい感じである。で、再び『村上さんのところ』
僕が真剣に腹を立てるのは、せいぜい四、五年に一度くらいですが、僕の場合、怒ると逆に頭が冷めて、ロジカルになることが多いみたいです。普段はわりに無口で、論争みたいなことはまずやらないのですが、その気になればけっこう弁はたちます。言い合いになっても負けないし、とことんやっつけます。でもそういうことをするのが好きではないので(自分で見ていてみっともないから)、いつもは「封じ手」にしています。自分の性格にそれなりに戦闘的な部分があるとわかっているので、なるべくそういうのを外に出さないようにしているわけです。
そういえばもう五年くらい腹を立てていないので、そろそろ何かあるのかなと心配しているところです。でも喧嘩ってほんとは、自分のためにするものじゃないですよね。できればほかの何か大事なもののためにしたいものです。
そんな村上春樹さんの、ほかの何か大事なもののための、ロジカルな激怒についても思い出した。
『ペット・サウンズ』のジャケを見事にパクったSMAPのアルバムデザインについて指摘したところ、匿名のSMAPファンから「失礼だ」とのメールが来て、それに対する(出されなかった)返事。
でも率直に申し上げまして、このCDに収められた音楽とビーチボーイズの「ペット・サウンズ」に収められた音楽とのあいだには、ハリネズミの屁ほどの関連性も共通性も類似性も連続性も接続性も血縁性も交流性も共有性も共振性も貢献性もありません。あえて共通性を求めるなら、数人の男性が集まって、肺呼吸をしながらマイクに向かって歌を歌っているという事実くらいではないかと、僕は思います。かといってデザイン的に言っても、「洗練された諧謔性」「引用の自立性」なんてものは、どれだけ時間をかけて好意的に見渡しても、一切見あたりません。じゃあいったいどうして--と僕はここで声を大にしてあなたに質問したいのですが--このCDのジャケットに名鑑(盤?)「ペット・サウンズ」の<モチーフ>をわざわざひっぱってこなくちゃならないんですか? <モチーフ>というのはまことに美しい言葉ですが(フランス語には美しくて、場合に応じて好都合に雰囲気を醸し出せる言葉がたくさんあります)、僕の住んでいる世界では、そういう種類の不毛で安易な<モチーフ>取りのことを、シンプルにクールに<パクリ>と呼びます。ご存じないかもしれないのであえてつけ加えますと、それは一般に「恥ずべき行為」であると考えられています。
ハリネズミの屁ってのがいかにも村上春樹。
ちなみにSMAPはジャニーズなのでCDジャケがアマゾンにない。でもなぜかポスターがあった。ジャケットもだいたいこんな感じ。
有名な、あまりにも有名な『ペット・サウンズ』はこちら。
- アーティスト: ザ・ビーチ・ボーイズ
- 出版社/メーカー: EMIミュージック・ジャパン
- 発売日: 1997/10/16
- メディア: CD
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客先からカフェへ。10時まで仕事。
帰宅してカーリング観ながら焼酎。またソファに寝てしまう。