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伊藤智仁について

ヤクルト久々の優勝に感動した1992年、僕は社内メールでヤクルトファンの先輩に「いやーいいピッチャーが取れましたな」「これでBクラスはもうないな」とやり取りしていた。松井秀喜をスルーしてヤクルトが1位指名した天才・伊藤智仁のことだ。

伊藤智は入団直後から期待通りの大活躍。高速スライダーに次々空を切るバットはデビュー当時の野茂のフォークボールを思わせた。しかし突然の故障による離脱。野村監督は「俺がつぶした」と責任を感じていた。ここまでは知っていた。

つい先ほど「消えた天才」というテレビ番組で「野村克也伊藤智仁に謝罪する」という企画をやっていた。ここで僕は伊藤智仁が肘だけでなく腕の血行障害で生命の危機まであったことを知る。伊藤智仁という天才のことを改めて世に知らしめしたことについて、僕はこの番組に感謝したい。

しかし。

番組では伊藤智仁はデビュー後数カ月でほぼ選手としては終わったように描かれていた。しかし!97年には7勝2敗19Sでカムバック賞受賞。その後も故障と闘いながら2003年まで現役続行したのだ。

そのことは忘れないでいたい。

引退後コーチになり、2015年投手コーチとしてリーグ優勝に貢献した。胴上げからビールかけの輪の中に彼がいたことを、僕は神宮球場で見ている。高津臣吾投手コーチとともに最高の投手陣を作り上げた。選手だけでなく、コーチ陣のチームワークが素敵なチームだった。


今年から富山GRNサンダーバーズ監督。
まだまだつづく野球人生。天才・伊藤智仁の前途に幸あれ。