[4k]shike's はてなblog

ノンジャンルでメモを残します 日記もときどき。

NHK連続ドラマについて語ることについて

いけてないオッサンをあげつらうことで人を楽しませてきた、めいろまさん。

 

 

じゃあ、多分こういうのもダサいのだろう。

 

コミカルな存在であるとは、どういうことだろう。  

いっそんこと磯野先生は、絶えず声を張り上げてオーバーアクションをしていることで、これまでもずっとコミカルな役回りだったけれど、この回ではさらに別の役割を得た。それは、ただ「珍しく真面目に状況を説明する」役ではない。ナレーションとのやりとりを許され、ドラマの登場人物という立場からの逸脱を許される役割だ。ナレーションを受け、カメラに正面切って「押忍!」と言ってアニメーションを駆動し、しかもドラマを壊すことなく説明を進行できるのは、いっそんだけだ。しかもその説明は、セットでの音質ではなく、録音スタジオで録られたクリアな音声で、この点でも、いっそんはナレーターに近づいている。

 しかも、アキと種市に歌を呼びかけてから発せられる「よいしょっ!」という気合い一声は、単にアキと種市との歌を始める合図ではなく、潜水土木科の学生全員の声を呼び出し、南部ダイバーたちの活躍を呼び出す。いっそんはもはや、ドラマの中で他の誰とも違う形で、劇の進行に主体的に関わっている。

 

 アキが北三陸を思い出すための句読点として現れ、聖なるミサンガにすね毛を編み込み、徐々にその秘めたる力を育んできたいっそんは、ここにきて登場人物とナレーションの間を行き来できる喜劇的存在として開花した。長い時間を経て脇を固めるキャラクターたちがそれぞれの力を発揮し始めているのを見ると、ドラマは、いよいよクライマックスにさしかかっているのだなという感じがする。

今日のあまちゃんから 9/12 » Fishing on the beach

細馬 宏通氏のブログから引用。ああ、何と素敵なものの見方だろう。

 

というわけで、何について語ろうが、ダサイもあれば、いけてるもある。と僕は思います。