掛け持ち
3月28日
土曜日。起きようとしたら妻が洗車しろと。忙しいんだよ。なんで昨日のうちに言わねえんだよ。だいたい洗車くらい自分でもできるだろ。ガソリンスタンドでお願いするだけなんだから。
とぼやきつつ、仕方なく洗車場に行き洗車。ま、自宅から近いので。
一度家に戻って、また出かける。
本日最初の落語へ。
時間通りに終わって、次の落語へ
満足。
新しい
3月26日
木曜日。バタバタと仕事。ちょっと余裕があるので新しいやり方を考えてみたり。
気持ちは分かる
3月25日
水曜日。それほど忙しくないけど仕事。
こんなページを見つけてしまった。
気持ちは分かる。分かるんだ。
こうやってきちんと竹鶴正孝のことを研究していたら、そら腹も立つ。
でも、余市編からはもう完全にファンタジーだし、僕は割り切って結構楽しんでみている。役者がいいし。風間杜夫と小池栄子がいい。
「こんなドラマじゃ竹鶴をモデルにした意味がない」というのは、気持ちとしてはほんとによくわかるんだけど、じゃあ水戸光圀の研究者は何回発狂したらいいかわからないよね。そして講談という芸能は完全否定されることになる。
ノンフィクションを下敷きにした荒唐無稽なフィクションというのは、あるのですよ。
いや、腹は立つけどね。竹鶴はあんなあほな無計画な男じゃないし、マリアージュはニッカよりサントリーの発想だし、鳥井は本当は自動車大嫌いだし。
どういうわけかウイスキーの製造工程がまるで出てこないのも腹立つポイント。日本酒のほうはみっちりやったのに。
でもいいんだ、ドラマだから。連続テレビ小説だから。
だからドラマはドラマで、もうこれで終わりでいいんだけど、竹鶴正孝の生涯を映画化してくれないかなあ。