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追悼 國政竜也さん

気持ちはまとまらないですが、とりあえず。
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(國政竜也さん 2012年10月27日) 

 

1986年の春 法政大学ミニコミ出版研究会 新歓コンパ。

大学生であれば、未成年でも飲酒が許容された時代だった。

 

新入生、18歳。希望と無謀だけ抱えていたような気がする。

 

洋風居酒屋『遊泳禁止』から2次会のカラオケスナック『砂土原』に流れただろうか。
当然のように、終電がなくなった。

 

当時は24間営業のマンガ喫茶もなく、朝まで過ごせる店も少なかった。
もちろんどこかに泊まるような持ち合わせはない。

 

「んじゃ、國政のところに行こう」

 

言い出したのは、僕と同様にちょっと遠い実家から飯田橋の法政大学に通っていたKさんだと思う。國政さんと同じ三年生。

ついていくしかない。

五反田駅で終電を降りて、土曜深夜の中原街道を戸越銀座に向かって歩く。
不安と高揚感。
途中の吉野家で牛丼を食って、これと行った手土産も持たずに、Kさんと僕は國政さんの部屋に転がり込んだ。

 

とある大企業が所有していた、社員の子息のために建てられた木造の寮。
部屋の広さは正確には思い出せないがだいたい3畳×2ではなかったか。×2というのは、同じ部屋が2つあったから。

小さな玄関(というか、三和土)で靴を脱いで、左に上がるとリビングで、右は寝室。畳敷き押し入れ付きのやや細長い部屋が、三和土と壁を挟んで左右対称に並んでいた。もともとはひとり一部屋だったのだろう。

 

携帯電話はもちろんないし、寮なので個人用の固定電話すらなかった。
なのでアポなしの深夜訪問。

 

バイトの都合でコンパには来ていなかった副編集長・國政竜也さんは、幸いまだ起きていた。
そして、あろうことか、この迷惑な闖入者を歓迎した。

 

「ああ、ここはいつ泊まりに来てもいいからね」

 

そんな事は言うべきではなかったのかもしれない。
このあと2年後に國政さんが卒業とともに退寮するまで、僕はもう本当に何度となく泊まりに行ってしまったのだから。たふん30回くらい。もっとかも。

 

つまりは甘えきっていた。なんと図々しいことか。

 

しかも、そんな甘えた人たちが大勢いた。
ひどいときは8人くらいで雑魚寝したと思う。夜中に8人が押しかけてきたのだ。ノーアポで。
夏だったとはいえ、ひどすぎる。

 

それでも國政さんは歓迎してくれた。いつも。

 

國政さんは、いつもかっこよくスマートで、おしゃれで、モテて、モテ過ぎてちょっといろいろあったけど、とてもとても優しくて、面倒見が良かった。

 

30年過ぎても、思い出せる夜がいくつもある。

二人だけで語り合ったこともよく覚えている。ミニコミのこと、世の中のあれこれ、そして女について。いろいろと。


卒業後、NECに就職された。
赴任先の京都に遊びに行ったら、上司まで連れて出てきてくれて、祇園のカラオケスナックに連れて行ってもらった。

僕が就職してからも、関西出張のときについでに泊めていただいた。そのときは枚方だったような気がする。大阪で、もうひとりの先輩Sさんと三人で飲んだ。


やがて本社勤務になって結婚された。ご夫婦のお宅に泊めていただいたこともある。

 

NECの社内勉強会の講師をさせてもらったこともある。ギャラは社食のランチ。大企業に入れなかった僕としては社食にちょっと憧れがあって、なんか楽しかったのを覚えている。

 

そのあともずっと、定期的に飲み会でお目にかかっていた。転職など、節目のたびにアドバイスをくれたり、元気づけてくれたり。

 

4年前に入院したことは後で知らされた。飲み会でこう言われたのだ。

「今日は実は快気祝いなんだ。俺、胃がんでさ、切ったんだよ」

 

2年前に二人で飲んだ。新橋の中華料理屋。酒はそれほどでもないけど結構バリバリ食っていた。元気そうだった。

 

僕の主宰する落語会にも来てくれた。

「あんな目の前で蕎麦食べるところみちゃった。やっばりすごいね。面白いね落語!」と言ってくれた。

 

最後にメールのやり取りをしたのは3月、そのときも「近々また行きましょう」と言っていたのに。

 

教えてくれなかった。見舞いにすら行けなかった。

誰に対しても優しく、誰からも好かれていた國政さん。お通夜は、サークルの先輩・同期・後輩が多数駆けつけた。皆忙しいはずなのに。


次から次へ思い出すことばかりで、際限がない。
ここで唐突に、下手くそな自由律俳句でこの文を終わる。

  懐かしい顔が揃う
  みんな
  黒い服を着て

この、いつまでも出来の悪い、弱っちぃ後輩は、やはり、あなたのおかげで、生きてこれたような気がします。

 

なんていうと

「はっはっは、なにいってんだよ。そーんなことねえよ」

というに決まっている。

 

あの笑顔をまた思い出してしまう。

 

33年間、本当にお世話になりました。どうか安らかにおやすみください。

ありがとうございました。

 

(多分後でちょっと加筆修正すると思うけど、とりあえず公開)